ワールドメイトは、宗教団体としての弱者救済の立場に立った、慈悲と慈愛の実行。そして、人道的見地に立った、社会への対応。また、社会良識に基づく、誠実な対応という、3つのスローガンを持ちます。 このスローガンに基づき、さまざまな福祉、教育、スポーツ、学術、芸術の、公益活動を日本と世界で実践しています。
ワールドメイトの主な公益活動
カンボジアにおける、ワールドメイトの医療福祉活動
カンボジア第2の都市バッタンバンで、ワールドメイト救急病院を運営
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ワールドメイトでは、2012年3月から、カンボジア第2の都市バッタンバンで、ワールドメイト・エマージェンシー・ホスピタル(ワールドメイト救急病院)という、外科病院の運営を行なっています。スタッフの数は、約300人です。もとは、イタリアのNGOが運営してましたが、ヨーロッパ経済の不況により、運営を放棄して閉院になる所でした。それを救済し、運営を引き継ぎ、内容を拡充させたのです。
バッタンバンは、人口はカンボジア第2位ですが、高度な医療を受けられる病院が、圧倒的に足りません。だから、この病院の存続は、現地の人に本当に喜ばれ、感謝されてるのです。
しかも、ここには、カンボジアNo.1の外科医と内科医もいます。ですから、医療レベルは、カンボジアNo.1と言われるのです。
そして、治療費を払えない、貧しい人には無料診療を行なっています。2013年は、約65パーセントが無料診療でした。2015年からは、すべてが無料診療になります。この費用は、ワールドメイト会員の、皆さんの浄財で支えているのです。
カンボジア24時間無料救急病院
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カンボジアはアジアの最貧国であり、20年近い内戦によって国土は荒廃し、国民の平均寿命は53歳。知識階級は虐殺され、1996年当時医師の数は、人口30,000人当たりわずか1人でした。(日本は500人に1人)
この現状に心を痛め、ワールドメイトでは、1996年12月、カンボジアの首都プノンペンに、24時間無料救急病院シアヌーク病院を建設しました。カンボジア政府から、無料で提供された土地に、丹下健三氏無料設計による二階建、40ベッド、緊急集中治療設備を擁した、近代的な24時間体制の救急無料病院が完成したのです。
この病院の運営は、ワールドメイトが毎年2億円の運営費を拠出し、ワールドメイトと米国医療法人「ホープ」が、共同のパートナーとして協力し合ってきました。
(20周年を機に、シアヌーク病院の体制が変わりました。詳しくは、「ワールドメイト救急病院とシアヌーク病院」をご覧下さい)
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同病院では、1996年12月から現在までに、 治療者数 130万人を越える患者が訪れ、全て無料で診療を行なってきました。
病院には、約400人のカンボジア人スタッフと、二十数名の欧米人スタッフが勤務しています。また、カンボジアに250あるNGOのうち、シアヌーク病院は規模も最大であり、グローバルファンドにおける、250のNGOの代表にもなっていました。
カンボジアの真の救済のために
![米国公益法人シアヌーク・ホスピタル・コープ副会長の深見東州氏(現名誉副会長)](img/kanbojia19.jpg)
シアヌーク病院建設の設立者であり、メインスポンサーでもある、米国公益法人シアヌーク・ホスピタル・コープ副会長の深見東州氏(現名誉副会長)
病院の石碑には、こう刻まれている。
「深見東州氏とワールドメイトの構想と寛大なる支援によって建設されたシアヌーク病院は、貧しい患者に医療を提出するために、1996年12月に開院した」
("Opened in December 1996, Dedicated to providing free medical care to the needy, was built through the vision and generosity of Toshu Fukami and World Mate.")
ワールドメイト 未来の光 孤児院
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プノンペン郊外にある、「ワールドメイト 未来の光 孤児院」(Future Light Orphanage of Worldmate)において、1996年から現在まで、毎年約300名の子供たちの支援を行っています。
この孤児院は、単に孤児たちを預かる、施設としてあるだけではありません。やがて、大きくなって施設を出ても、高い文化レベルで自活し、ひいては孤児たちがカンボジア再建に尽力する、優れた人材になるよう英語授業、コンピュータ訓練なども行われています。無論、その講師達の給与も、ワールドメイトが毎月負担してるのです。
これらの活動が評価され、その後、孤児院の設立者であるヌオン・パリー院長は、1994年にフランスのフィガロ賞を、1998年にはアジアのノーベル賞と言われる、フィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞しました。
今では、この孤児院での教育は、一般の学校から羨ましがられるレベルに達しています。そして、深見東州先生も、この孤児院の会長を務め、益々支援の輪を広めているのです。
クメール・ルージュ被害者のための救済基金
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ワールドメイトは、クメールルージュ(ポルポト派)に、夫や子供を虐殺された犠牲者の遺族3万軒に、義捐金を渡すセレモニーを行っています。
カンボジアでは、1970年代後半、クメールルージュが、300万人もの国民を虐殺したと言われています。国民の半数にあたります。そして、後に残された未亡人や子供たちは、心のトラウマを抱えながら、今なおカンボジアで最貧生活を送ってるのです。
その多くは、元中産階級だった婦人達です。ある日、突然市内に爆撃があるとだまされ、市中を出たまま帰れなくなったのです。また、虐殺のキリングフィールドを実際に目撃し、逃げのびた人達です。その中の、約2割の未亡人は身寄りもなく、お金もないので、お寺に住んで死ぬ準備をしています。小乗仏教とヒンズー教が結びついた仏教なので、人々は僧侶に、毎日施しの食事を持って来ます。僧侶がそれを食べた後、彼女たちはその食べ残しを食べるのです。現金収入は全くありません。雨風をしのぐ場所と、食べ残しの食べ物があるだけで、彼女らには有り難いことなのです。この人々に、一般人の半年分の収入となるお金(100ドル=1万2000円)と、お米をワールドメイト代表 深見東州先生が、政府代表者と共に、手渡しで授与するのです。
しかし、お金はあくまでシンボルです。最も大切なことは、お金を通して伝えるメッセージであり、一人一人の虐殺の体験を残すことです。候補者を選ぶ時に、全員にインタビューし、全員の体験を記録してるのです。
この主旨で、最初に深見東州先生が3千万円を寄付し、ワールドメイトが1億円寄付しました。これで、当初は1万世帯の遺族を救済する予定でした。しかし、 2007年1月、深見東州先生のご決断により、基金の額をもう200万ドル(2億4000万円)増やし、合計330万ドル(3億9600万円)にして、1万世帯の救済から、3万世帯の救済に規模を大きくしたのです。
これまで、すでに5回の授与式が行われました。(2011年1月現在)
犠牲者の方々は、毎回「今まで、こんなことをしてくれた人は、誰もいなかった。本当に嬉しい」と号泣し、深見東州先生から、手渡しでお金と米を受け取っています。
この模様は、毎回テレビのニュースで放映され、国民の全てが感動し、勇気づけられているのです。
コマンドール勲章を受章
2003年1月、シアヌーク病院の第二病棟が、ワールドメイトの寄付によって完成しました。この時シアヌーク国王(当時)が決心され、ワールドメイトを代表して、深見東州先生が、民間で初めてコマンドール勲章を授与されました。これは、カンボジア王国の最高位の国家勲章の一つです。また、外国人に与える最高勲章だそうです。
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ワールドメイト代表、深見東州先生(左)
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クメールルージュの犠牲者への救済により、モニサラポン・テポドン勲章、ならびに、ソワタラ勲章大勲位を受章
2006年10月、クメールルージュの犠牲者への救済により、深見東州先生は、ワールドメイトを代表してカンボジア政府より、福祉分野での国家最高勲章、モニサラポン・テポドン勲章を受章しました。
また、2007年12月、クメールルージュの犠牲者への継続的な支援に対し、カンボジア政府より、経済と農業発展に貢献あった人に贈られる、ソワタラ勲章大勲位も授与されました。
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ワールドメイトを代表して、福祉分野での国家最高勲章も頂きました。
カンボジア大学の建設と運営を支援
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カンボジアには、これまでいくつかの国立大学と若干の私立大学はありましたが、政治・文化・経済系の、総合大学はありませんでした。そこで、同国の次期世代のリーダーを育成するために、「カンボジアのハーバード大学」をめざし、2003年に設立されたのがカンボジア大学です。同大学は、国際レベルのMAやPh.Dを取得できる、カンボジアトップレベルの大学でもあります。
ワールドメイトでは、カンボジア大学の運営や新キャンパスの建設を支援しています。また、深見東州先生は、同大学の初代総長、兼教授として、カンボジアのニューリーダー育成に務めています。さらにこの大学をベースに、多くの国際会議や、アセアン発展のための貢献がなされています。
カンボジア大学では、2008年にフンセン・ハンダ・スカラシップが創設されました。世界芸術文化振興協会(IFAC)の支援で、毎年500人ずつ、3年間で1500人の貧しい学生を支援し、カンボジア大学での4年間の授業料を負担する奨学制度です。この実績が評価され、深見先生は、教育部門の最高勲章、ロイヤル・モニサラポン大十字勲章をIFACの代表として受章しました。
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カンボジアの最貧地域に小学校の建物を寄贈
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カンボジアでは、つい十数年前まで、クメールルージュ(ポルポト派)が国の一部を占拠して、武力による圧政を行っていました。ポル・ポトが政権を握った76年に、紙幣は廃止され、市場は閉鎖。外国語はもちろん、音楽や歌や詩も禁止。恋愛も禁止。仏教も禁止されました。そして、寺院や仏像は破壊され、その破壊的な統治は、政権を追われた後も地方に場を移し、十数年も続きました。その間、なんと、当時の人口の約半分にあたる、300万人以上の国民が殺されたのです。
特に、「眼鏡をかけてる人」、すなわち知識階級の人間は、ことごとく命を奪われました。その結果、カンボジアの学校や教育制度は、完全に破壊されました。現在カンボジアには、学校のない村が3000以上あり、子供たちは、読み書きさえ習うことができないのです。
また、学校があるところでも、ほとんどが野外授業のため、雨風や照りつける太陽にさらされています。こうした現状を見て、ワールドメイトではカンボジアの最貧地域に、「屋根のある小学校」を10校寄贈しました。
フンセン小学校プロジェクト
2005年からは、「フンセン小学校」プロジェクトも始まりました。極貧地域の子供たちのために、小学校の校舎を、20校建設したいというフンセン首相の希望を受け、ワールドメイトが支援してるものです。
宗教協力と宗際化運動
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宗際化運動とは、宗教者が一流一派に拘泥せず、その壁を越えて世界平和や社会貢献に協力する運動です。ワールドメイトは、こうした運動を積極的に推進しています。
元英国国教会カンタベリー大司教、ジョージ・キャリー卿と協力して、ロンドンで「ランバァース・アカデミー」という、コミュニティーのスクールを支援する活動があります。この活動を支援する神道プリーストとして、ワールドメイト代表深見東州先生は、オープニングセレモニーでエリザベス女王と会見しました。
また、元英国国教会カンタベリー大司教(ジョージ・キャリー卿)と、世界銀行の元総裁ウォルフェンソン氏が、現役時代に共同で設立した、「WFDD(World Faiths Development Dialogue/世界宗教対話開発機構)」という、新しい宗際化運動の組織とプロジェクトがあります。
深見東州先生は、このお二人から協力を要請され、理事となって世界規模の宗教対話を推進しています。
また、アジアの宗教対話と開発を促進するために、2006年にAFDD(Asia Faiths Development Dialogue〈アジア宗教対話開発協会〉)が、深見東州先生が中心となって設立されました。
第一回はカンボジアで行われ、カンボジア政府の副首相が基調講演をされました。こうして、アジアの宗教リーダーと政府が、アジアの貧困と争いの解決のために、協力する会議を作ったのです。この後、毎年開催されています。
*注:ジョージ・キャリー卿は、故ダイアナ妃の葬儀、クイーン・マザー(皇太后)の葬儀も大司教として手がけられた方で、最近その長い年月にわたるお役目を辞されました。
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アルバニアに、小学校と職業訓練学校を寄贈
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少女から赤い花束を贈られました
ヨーロッパで最も貧しいと言われる国、アルバニアでは、多くの子供たちが貧困のために就学できません。また、学校へ行きたくとも、その建物がなく、屋外や青空教室で授業を行わざるをえないのです。
そこで、2001年5月、アルバニアの中で最貧地域のブトリントに、最初となる近代的な小学校をワールドメイトが建設し、寄付したのです。
開校式には、当時のアルバニア大統領メイダーニ氏も列席。他にも、政府高官や報道関係者、近郊の住民などが大勢詰めかけ、まるで国を挙げての慶事といった趣でした。それは、民間の日本人が支援する、最初の活動だったからです。
またアルバニアでは、社会主義政権の崩壊によって、多くの頭脳が国外に流出し、専門技術を持つ人材が圧倒的に不足しておりました。そこで、職業訓練学校の開設が、切実に求められたのです。この、大統領からの要請を受け、ワールドメイトでは初の職業訓練校も、ジロカストロ市に建設しました。
また、ジロカストロ市の近くで、近隣8つの村の9千人の村人が使う病院が、あまりにもひどく荒廃してました。そこで、この病院も再建し、近代的な病院として蘇らせました。
深見東州先生はその後、ワールドメイトを代表して、ジロカストロ市の名誉市民にもなりました。
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スピーチ&ヒアリングセンターに図書館を寄贈
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オーストラリアでは、国民の7人に1人は耳が悪いのです。理由は、幼児の頃から、プールに行かせる習慣があるためらしい。そこで、ワールドメイトでは、耳の不自由な子供達のために、西オーストラリア州パース市にある、スピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立しました。
西オーストラリア州 ブラインド・スポーツ・センター設立
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西オーストラリア州立カーテン大学の調査によると、盲人は病気の発生率が高いという統計が出ています。その原因のひとつとして、外へ出る機会が少ないことがあげられます。このことから、これからの盲人福祉は、一人ひとりを個別にケアするより、盲人スポーツの振興に務める方が、より重要な課題であることが解りました。
そこで、ワールドメイトでは、西オーストラリア州に、「ハンダ・スポーツ・アカデミー・アンド・レクリエーション・センター」(Handa Sports Academy and Recreation Centre)の設立を決定しました。(「ハンダ」は、深見東州先生の本名です)
深見東州先生が代表を務める団体は、23年間にわたって、西オーストラリアのブラインド(盲人)ゴルフ協会を支援し、ブラインドゴルフのオーストラリアンオープンを後援してきました。そして、これで盲人福祉への支援活動が、一層幅広く大きなものになったのです。
日本語を学ぶ学生へ、日本留学支援スカラシップ
西オーストラリア州の州都パース市にある、西オーストラリア州立カーテン大学では、ワールドメイトが、 23年以上にわたってスカラシップを行なってきました。このスカラシップは、オーストラリアにおける最古、最長の日本語学習奨学制度であり、大きな実績と高い評価を得ているものです。
エディスコーエン大学にスタジオを寄贈
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西オーストラリア州立エディスコーエン大学に、教育支援のために、常に見忘れられるパーカッションの生徒のため、ハンダスタジオを寄贈しました。(「ハンダ」は、深見東州先生の本名です)
オーストラリアでの人権教育
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幸せの基準は人によって違いますが、少なくとも、人権がある程度保障されてることは、人間としての、幸せの最低基準を保証することになります。そこで、人権教育を進めるために、ワールドメイトでは、西オーストラリア州立カーテン大学に、人権教育のチェア(講座)を開設しました。これは、まさにオーストラリアでは初の試みでありました。おそらく、南半球で初のことであり、世界で類を見ないものと言われています。
オーストラリアでは、人権問題は政治団体と結びつきやすいため、人権教育の国家レベルでの教育が遅れており、政治的に中立を保つこのチェアの開設は、非常に注目を集めています。
チェア開設を支援した団体の代表 深見東州先生は、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「Citizen of Humanity」(国際名誉市民)の称号を後に授与され、オーストラリアの国家レベルでの、人権委員会のコミッティーにも選ばれました。
アフリカでの福祉活動
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村唯一の交通手段となる、ボートを寄附した時の写真。
ガーナの心臓財団に寄付も行っています。さらに、ガーナの4つの医療機関に体温計を寄付しました。ガーナは、アフリカでは一番安全で裕福な国ですが、それでも健康保険制度がないため、大きな病気にかかったら、一般人はとても治療費を捻出できません。国民の平均収入は、1ヶ月5000円ぐらいなので、輸入ものの体温計は貴重品なのです。 その他、エチオピアでの、学校建設も行っております。
日本での児童福祉活動
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全国の児童養護施設・母子寮から、毎年
「お礼状」「感謝状」がたくさん届いています。
ワールドメイトでは、毎年クリスマスに、日本全国の児童養護施設の子供達に、文具や時計など、毎年中味をかえたクリスマスプレゼントを贈ってます。サンタクロースの、装束に身を包んだボランティア達が、全国の施設の子どもたち一人ひとりに、クリスマス・プレゼントを配って歩きます。最初は、1施設10人に満たない子どもを対象に始めたこの試みも、今では全国約200の施設、約12000人の子どもたちに膨らんでいます。これは、日本全国の孤児数の2分の1に相当する数字です。
1999年12月 | 4施設 | 214名 |
2000年12月 | 191施設 | 11,062名 |
2001年12月 | 224施設 | 13,715名 |
2002年12月 | 222施設 | 13,609名 |
2003年12月 | 222施設 | 13,478名 |
2004年12月 | 220施設 | 13,700名 |
2005年12月 | 207施設 | 12,069名 |
2006年12月 | 193施設 | 12,136名 |
2007年12月 | 192施設 | 11,625名 |
2008年12月 | 202施設 | 12279名 |
2009年12月 | 201施設 | 12,244名 |
2010年12月 | 188施設 | 11,715名 |
2011年12月 | 189施設 | 11,385名 |
2012年12月 | 205施設 | 12,231名 |
2013年12月 | 208施設 | 12,285名 |
2014年12月 | 203施設 | 12,174名 |
2015年12月 | 203施設 | 12,168名 |
2016年12月 | 202施設 | 12,165名 |
2017年12月 | 202施設 | 12,161名 |
2018年12月 | 201施設 | 12,156名 |
2019年12月 | 194施設 | 12,134名 |
2020年12月 | 162施設 | 11,828名 |
2021年12月 | 148施設 | 10,536名 |
(いくつかの施設が廃校となり、コロナ禍で辞退する所もあって、数が減りました。残念なことです)
紺綬褒章を受章
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2005年6月、ワールドメイト代表 深見東州先生は、紺綬褒章を受章しました。