深見先生が、ギャグやユーモアを 広告やスピーチ等で発信する理由

次の文章は、あるマスコミから、
「深見先生が、新聞広告などでギャグや笑いの要素を重視しているのは何故ですか。
また、会員や外部の方から、どんな評価を受けていますか。」
という旨の質問があった際の、ワールドメイトからの回答です。
ワールドメイトの活動について、参考になると思いますので、掲載いたします。

 当団体は、ここ20年以上、新聞広告を出したことがなく、お尋ねの「新聞広告」は、深見が代表を務める、「たちばな出版」の広告と存じます。(なお、たちばな出版は、深見が代表取締役の一人になってますが、当団体とは別個の法人で、資本関係もありません。)

深見は宗教以外の分野でも、幅広く活動してますが、その活動の全般において、確かにユーモアやギャグの要素が見られます。出版物の新聞広告のみならず、深見が代表を務める他団体のイベント広告や、会議のスピーチでも、よくジョークやギャグが用いられます。
(しかし、ギャグを「重視してる」というより、深見自身が、ユーモアやギャグにあふれた人間というのが、実際のところですが……。)

そうした、ギャグやユーモアを広告やスピーチ等で発信するには、以下の3つの理由が挙げられます。

第一の理由は、深見がかかわる諸活動の、国際的な広がりに起因してます。

深見を、宗教家という角度だけで定義したら、捉えきれない点が、数多くあるのではないかと存じます。

まず、深見は宗教家であると同時に、多くの芸術作品を発表する芸術家です。しかも、多くの分野をこなす万能の芸術家です。また、カンボジアに、孤児院や24時間無料救急病院を建設し、運営するなど、世界中で福祉活動を実践する福祉家でもあります。さらに、予備校や大学の総長を務める教育者です。また、国内外で会社を13社経営する経済人であり、学術博士号を2つ持つ学者でもあります。これらの活動は、世界規模で広がっているものです。

少しピックアップするだけでも、通常の理解を超える人物である事が、お解り頂けるでしょう。しかし、全てに明確な理由があり、背景があるのです。それを順番に説明致します。

例えば、スポーツ振興や、それを通じた福祉活動のジャンルでは、視覚障害者の自己実現の手段となる、「ブラインドゴルフ」を世界規模で広めてます。それを、常に欧米人と協力して進めますが、世界的なプロジェクトで重視されるのは、推進する人物の人間性です。代表者同士の人間関係、人間的魅力、フレンドシップによる、信頼関係が大切なのです。これで、初めて文化や国境を越える、大きな福祉活動が展開できるのです。

これは、ブラインドゴルフに限りません。第三世界における、無料病院の建設や運営。劣悪な環境にある子供達の為の、孤児院や学校作り。高等教育が必要な国での、大学の設立と運営。また、宗教間の融和と協力により、世界平和を目指す「宗際化運動」など、ワールドメイトも、深見個人も、数多くのプロジェクトを推進してます。しかし、それらを円滑に進めるポイントは、中心人物の人間性であり、欧米人の言う“sense of humor”なのです。

外国の要人は、ユーモアのセンスがない人とは、付き合いたがりません。日本人は、真面目すぎるのです。例えば、アメリカのジョークで、「今日のパーティは胃薬(いぐすり)持参で。なぜなら、日本人がスピーチするから」とまで、言われるぐらいです。いつもつまらないスピーチをするので、食事がまずくなり、消化するのに胃薬(いぐすり)が要るという、揶揄です。

しかし、深見は、どんな場でも英語で挨拶し、スピーチし、ディスカッションします。しかも、英語で次々にギャグを飛ばし、会場を爆笑させます。大袈裟でなく、「こんな日本人は初めて見た」と、多くの人に握手を求められます。だから、打ち解けて話してくれるし、すぐに友達になるのです。深見の世界的な人脈の広さや深さには、こんな背景があるのです。

パーティで、「壁の花」になってるような人。話をしても、面白くない人は、忙しい要人達は、最初から相手にしません。中国の朱鎔基さえ、同じ理由で日本人との面談を断ったのです。真面目さ、勤勉さは、日本人の美徳です。しかし、国際舞台における外交や交渉、国際的な社交の場での、語学力とロジックの切れ、そして“sense of humor”は決定的に不足しています。国際的な外交やプロジェクトで、資金を出す割に、日本人が欧米人の風下(かざしも)に立たされるのは、これが原因の1つです。

しかし、深見はクリントン元大統領や、トニー・ブレア元英首相らと共に、「世界オピニオンリーダーズサミット」を開いたり、カンボジアのフン・セン首相のアドバイザー(首相顧問)と、政府顧問も務めます。そこで、彼らも、深見のギャグによく笑い、こよなく愛しておられます。こうして、世界中のVIPと友好な関係を築き、大きなプロジェクトを次々に成功させてるのです。なぜ、深見はこのような事ができるのか。それは、今から26年前、深見が37才の時です。天啓によって、オーストラリアで家具屋とヨットのマリーナを買い取り、現地に神社を建てて、活動拠点にしたのです。そこで、現地の白人社会と積極的に関わる中で、語学力や交渉力、マネジメントや欧米との社交を学び、欧米人に通じるユーモアのセンスも磨いたのです。それで、大学院も、西オーストラリアの州立大学を卒業しました。深見は、大学の頃から語学は堪能ですが、26年間国際力を磨いてるからこそ、このような事が可能なのです。

以上述べた原則は、ビジネスや福祉分野だけでなく、宗教界においても同様です。

深見は、現在アメリカの宗際化組織である「Religions for Peace USA」のプレジデントの1人です。また、「Council for a Parliament of the World’s Religions」(世界宗教議会)のInternational Advisory Committee(国際評議委員会)の名誉国際顧問です。また、世界的な宗際化組織WFDD(World Faiths Development Dialogue)の理事を、長年務めています。そして、アジアの宗教対話と開発を促進するAFDD(Asia Faiths Development Dialogue〈アジア宗教対話開発協会〉)を設立し、会長となっています。また、IFAPA(アフリカにおける平和のために行動する諸宗教)の理事を務め、世界的宗教リーダーと共に、宗教間の対話と協調の運動を推進しています。宗教的見地や足跡が認められたのは勿論ですが、楽しくて面白い人間性が、愛されての事です。すなわち、“sense of humor”のない人は、宗教界でも評価されないのです。

ギャグとは、ユーモアのセンスの極まったものです。深見は、その活動において、ギャグを重視してるというより、ユーモアのセンスを大切にしてるのです。

これが、深見の発信するものが、ギャグにあふれる第1の理由です。それは、常に世界基準や国際基準を第一に考えるからです。この事は、宗教に限らず、深見の行なう、あらゆる活動に共通するのです。

第二の理由は、深見やワールドメイトが、「神道」をベースにしてることが挙げられます。

神道ほど、明るく楽しい宗教はありません。神道の神典である、「古事記」や「日本書紀」を見ても、それが分かります。例えば、有名な「天の岩戸開き」の段は、その際たるものです。

天照大御神が岩戸にお隠れになり、世界が暗闇になった為、なんとかお出まし頂こうと、神々は知恵を絞ります。そして、岩戸の前で大宴会を開く事になりました。天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が踊り、八百万の神々は大笑いで囃します。その内、ウズメノミコトの胸がはだけ、乳房が露出します。さらに、陰部まで見えたのです。それで、神々は大いに笑うのです。その「笑いえらぐ」様子を、不審に思った天照大御神が、岩戸から少し顔をのぞかせます。そこを、天手力雄神が引っ張り出し、世界は再び明るさを取り戻したのです。すなわち、現代の言葉で言えば、神様がストリップをし、他の神々が爆笑して囃したことで、世の中が明るくなったという物語です。これが、天武天皇の命により、日本の正統な歴史を残すために編纂された、古事記に載る正史なのです。

また、伊弉諾・伊弉冉の国生み神話も、リアルな性描写によって、国土や神々が生まれる様子が描かれています。

別の箇所には、神様が機を織ったり、水田の畦があるシーンも描かれます。ということは、神々は農業や機織りなど、労働をしていたことになります。このように、神道の神々は労働もするし、恋もする。そして、ここ一番では、踊りながらストリップもするのです。日本の神々は、このようにワイワイ仲良く宴会し、明るくユーモアに満ちた存在なのです。ここが、同じ多神教でも、エジプトやギリシャ、道教や北欧の神々との違いです。また、一神教のような、造物主と被造物主との対立する関係とも違うのです。基本は神様同士も、神様も人間も、平和で和々(にぎにぎ)しい関係です。

ところで、神道の特徴を、「浄明正直(じょうめいせいちょく)」と表すことがあります。しかし、それだけではありません。神典で見る限り、平和でフレンドリーで、ユーモアに満ちた神々と、人々が仲良く生きるのが、「神道」だと言えます。これが、神典に一貫する神道の精神です。だから、ワールドメイトが自由で明るく、平和でフレンドリーで、ユーモアに満ちた宗風なのも、この神道の精神に由来するのです。ここが、仏教やキリスト教に由来する宗教と、教風や宗風が異なる理由なのです。代表を務める深見も、全くこのままの人物です。

ところで、神道にとって、「祭」は最重要な要素です。由来は、天照大御神の「天壌無窮の神旨」によります。すなわち、神祭りを専(もは)らとする限り、天壌(あめつち)は窮まり無しで、永遠に続くという意味です。また、「祭り」は、非日常を徹底追求し、日頃たまった「穢」(けがれ。気が枯れ、生命力が衰えること)を払い、「ハレ」の状態に戻すと言われます。これが、宗教学における、「祭り」の意義です。だから、日本の祭りは、派手でユニークで、ユーモラスで爆発的に盛り上がるのです。それが、非日常の徹底追求だからです。裸祭り、御柱祭、ねぶた祭だけでなく、日本中にエキサイティングで、面白い祭がたくさんあります。

古代の人々は、こうした「祭」を楽しみにして、日々頑張って生活したのです。昨今の日本では、ハロウィン(古代のケルト信仰がルーツと言われる)で仮装したり、サッカーで仮装したり、コスプレで仮装して盛り上がります。これも、非日常を追求する、現代の祭だと言えます。

神道には、他にもいくつもの要素があります。しかし、神道の祭りの特徴や、生活に有意義な祭りの魅力を、前面に出して意義を解説し、率先して実践する神道人は、今まであまり居なかったのです。わずかに、仏教では踊り念仏の一遍上人、新宗教では、山口県の「踊る宗教」ぐらいです。

深見は、神道人として、祭りの意義を前面に打ち出すのです。それが、活字離れする若者達に、必要な宗教性だと信じるからです。この明るく楽しく、自由で平和、フレンドリーでユーモアに満ち、少々エッチな神道の要素。さらに、非日常を徹底追求し、祭りの要素を爆発させるのが、「ギャグ爆発の宗教家」の背景なのです。深見の場合は、それを芸術に融合させ、ロックコンサートや演歌コンサート、演劇、美術、スポーツ、福祉、教育に融合させます。このように、神道の精神と祭りの意義を知れば、「ギャグ爆発の宗教家」の意味が解ります。そして、深見の行うあらゆる活動に、明るいギャグがある理由も解るはずです。

第三の理由として、日本人が持つ宗教や宗教家に対する、無知から来る偏見へのアンチテーゼがあります。

宗教や宗教家というものは、暗くて真面目で、深刻で近寄りがたいと思う傾向があります。また、閉鎖的で、狂信的な儀式を行うイメージもあります。これは、日本人の宗教に対する、一般的な認識と言えます。

しかし、外国ではそうではありません。政治家よりも、宗教家の方が信頼される国も多いのです。例えば、深見が理事をする、前述のIFAPA(アイファパ)は、アフリカの宗教者が集まり、貧困や病気の根絶、民主的な選挙の導入などを提言し、サポートする組織です。その会議では、ジョークが飛び交い、明るくて楽しい討論の中にも、真剣なやり取りがあるのです。レセプションでは、皆が飲んで歌い、踊って交流します。その中で、いつも先頭に立って歌い、踊ってるのは深見なのです。だから、アフリカでは、いつも人気絶頂です。アフリカの元大統領や大臣、国王なども参加するので、IFAPAは社会的な影響力も大きいのです。こうした、宗教や宗教家に対する信頼は、世界のスタンダードだと言えます。

ところで、日本には法人化されてるだけでも、18万2200もの宗教があります。そのほとんどは、真っ当で普通の宗教活動をしています。反社会的な問題を起こす宗教は、0.01%にも満たないでしょう。しかし、そのごく一部のおかしな宗教だけが、マスコミに取り上げられるのです。その結果、左翼系のジャーナリズムは、宗教=「暗くて真面目で反社会的なもの」として、書き立てるのです。だから、世間の人々も、そういうものだと誤解するのです。

しかし、それは宗教の実際とは違うものです。確かに、仏教やキリスト教、イスラム教は基本的に脱俗思想です。この世の幸せより、あの世の幸せに価値を置きます。しかし、神道は違います。「家やコミュニティーが栄えること」。「子々孫々命が受け継がれること」。「生活の中に生き貫くこと」に価値を置くのです。これは、ユダヤ教と同じ考え方です。だから、神道系の宗教団体が、反社会的であるはずがないのです。宗教を一くくりにして、反社会的と決めつけるのは、宗教を知らない無知な輩(やから)です。つまり、宗教に対して無知な人や、左翼系ジャーナリストの偏見なのです。

世の中の常識や観念は、強固のように見えても、あるとき、突然雪崩を打って変化することがあります。深見の地道なこのアンチテーゼが、いつか実を結び、「宗教は必ずしも、暗いものでも、真面目一辺倒なものでもない。大半の宗教は、社会性を重視する、明るいもの」だと、日本人の常識が変わることを願います。特に、神道はそうなのだと、知って頂く事が願いです。

以上が、深見が常にギャグを発信する、3つの理由です。

しかし、冒頭に記した通り、深見は宗教家だけでなく、様々なジャンルで活動しており、「宗教家」のくくりだけで考えると、理解できないはずです。

そもそも、深見が、なぜこうした多くのジャンルで活動するのか、4点述べさせて頂きます。深見の姿勢の、根幹部分についてご理解頂ければ、大変幸せです。

第1点目。深見は、「宗教は神の一部に過ぎない」と考えます。「宗教には、宗教にしかできない役割と使命がある。しかし、宗教だけが神ではない。科学も芸術も、神なのである」
との信念に基づきます。これは、キリスト教のセオロジーの「神には、真善美の三局面がある」に基づきます。すなわち、「真」を求める科学、学術、経営。「善」を求める宗教、教育、福祉、スポーツ。「美」を求める芸術。これらをバランス良く、全て実行する事が神を正しく捉(とら)え、取り次ぐことになると確信します。この確信は、全て天啓によるものです。だからこそ、この確信を38年続けたのです。その結果、深見は多くのジャンルで天才性や万能性を発揮し、それが世界的に広がったのです。人々は、深見を「現代のレオナルド・ダ・ビンチ」、「現代のルネッサンス・マン」と呼びます。しかし、訳なくそうなったのではないのです。こういう信仰や才能がなければ、38年も続くはずがなく、実際にやれるものではありません。

第2点目。深見は、常に「今の時代に、お釈迦様やイエス様、孔子や老子、最澄や空海、一遍上人や親鸞が生きてたら、どうなさるだろう」と考えます。

時代時代の優れた宗教家は、人々と共に生き、苦しみや悲しみを共有します。そして、その中から、救済の法を説いたのです。現代は、いかなる時代かと言えば、武家社会でもなく、士農工商の時代でもない。また、密教がもてはやされる、貴族社会でもない。そして、動乱の南北朝や、戦国時代でもなく、ファシズムの軍国主義の時代でもない。民主主義、自由経済、国際社会の時代です。国民の8割がサラリーマン、OLの時代なのです。

だから、深見はワールドメイトの代表として、宗教活動を行う傍ら、天啓によって自らビジネスの社会に身を置き、毎日、汗水垂らして働いています。こうして、今も会社経営を続けてるのです。そして、10円の有り難さ、100円の尊さを、日々実感して生きています。また、厳しいビジネス社会の中で、人々が何を求め、何に苦しんでるのか。それを、肌で感じるからこそ、多くの著作群に説得力があり、人々の感動を呼ぶのです。現実社会に身を置き、血と汗と涙の努力の中から、にじみ出る教えだからこそ、老若男女に支持され、魂を揺さぶる救済ができるのです。これも、今までの宗教家になかった、大きな特色です。

時代や社会は変わっても、人々と同じ立場に身を置き、痛みを感じつつ説く教えに、誠のある事は変わりません。そして、時代を反映すると同時に、時代を超えた普遍性のある宗教こそが、生きた宗教であり、本当の宗教性がある宗教だと言えます。それを、深見は追求し、ワールドメイトも追求してるのです。

しかし、ビジネスと宗教を混同することはありません。冒頭に記した通り、ワールドメイトは、深見が経営する会社について、株を所有したり、資本関係を持つことはありません。別個に独立し、法的にも財政的にも、明確に区別してるのです。これらを、自然に実行できるのは、神道の思想があるからです。即ち、神道では聖と俗を区別し、共存することを尊ぶのです。

第3点目。深見やワールドメイトの、最終的な目的は何なのか。これは、よく聞かれることなので、答えておきます。

深見は、政治の大切さを、誰よりも識る知識人です。だからこそ、政治家にあこがれたり、なりたいと思ったり、なる意思を感じることも全くないのです。なぜなら、深見の父親は自民党公認で、立候補した落選議員です。この父親を反面教師とし、天の教えとして受け取るからです。多くの政治家を、超党派でサポートしますが、自分がなる事はないのです。そんな事よりも、最終目的はもっと大きな理想なのです。即ち、それは「日本を中心とした、世界平和の実現」なのです。「日本を中心とした」という表現に、異論を挟む人もいるでしょう。しかし、それぐらい、日本人のアイデンティティーに自信と誇りを持ち、世界にアピールするべきです。国際社会においては、それぐらいの気概がないと、日本の立場や平和実現のアピールはできません。「日本は東洋と西洋の融合する所、アジアと欧米を内包する国です。そして、安全と平和が約束された、自然と共生する国柄なのです。そして、唯一の原爆被爆国であり、常に地震や火山、津波と戦う、災害に強い国です。そして、ハイテクの発達した、海洋国家なのです。また、宗教間の争いのない国でも知られます。だからこそ、日本が中心となって、世界平和を実現するべきです。平和のための国際機関も、ぜひ、日本に置いて下さい。」という、強いアピールがあってこそ、世界は耳を傾けてくれるのです。

第4点目。ワールドメイトは、宗教団体として、教線を拡大することや、信者を増やす事を第一としません。会員は、微増を続ければ良いと考えます。巷の宗教団体の中には、建物の拡大、信者の獲得を第一とする宗教もあります。しかし、ワールドメイトは違います。神の御心を、正しく取り次ぐ事を第一とするのです。次に、それによって顕現する、神の稜威(みいず)を大切にします。次に、それを継続するために、無形の道が大切です。これらが、無形の三宝です。次に、それを社会に広めるためには、人を大切にします。次に、そのために、より良き組織を運営します。最後に、その組織を円滑に運営するために、建物が必要なのです。これが、有形の三宝です。全ては、この順番で尊び、優先順位を遵守してるのです。それが、宗教団体としての文化レベルであり、品格だと信ずるからです。だから、建物はどこよりも質素です。また、信者も決して多くありません。建物を豪華絢爛にするよりも、社会への布施行を大切にします。それは、有形の価値より、無形の価値を尊ぶからです。これが、宗教団体の宗教性や品格、文学性やフィロソフィーの高さを示すのです。そう信じます。だから、ワールドメイトは、数々の福祉活動に尽力してるのです。また、芸術や文化、教育やスポーツを支援するのです。深見も、ワールドメイト以外の団体でも、人類愛に基づく活動や、社会貢献活動を活発に行なってるのです。

これらは、神事や参拝といった、狭義の宗教活動(宗教的宗教活動)ではありませんが、一宗一派の枠を超えた、普遍的な宗教性を顕す、いわば「普遍的宗教活動」なのです。こうした活動を通じて、少しでも世の中が良くなり、世界平和が樹立されて行く事が、深見やワールドメイトの目的や理想なのです。

 最後になりましたが、ご質問の2番目である、笑いの要素を信者(会員)や外部の人が、どう受け止め、どのように評価してるかについて触れます。

まず、外部の声ですが、広告自体、たちばな出版のものなので、たちばな出版に尋ねてみました。すると、まず広告の第一段階となる、新聞社の広告考査の段階で、すでに深見のギャグのファンがいるそうです。某新聞社では、深見の凝りに凝ったギャグを、毎回楽しみにしてるそうです。広告が出るたびに、あちこちから好意的な反響があり、会員以外の固定ファンもいるそうです。

しかし、ギャグの感性は、人それぞれです。どんなお笑い芸人でも、全方向にウケる訳ではありません。しかし、深見は、何事も徹底してやり続けるので、あの人はそういうものだと、読者もだんだん受け入れてるようです。

また、会員には、ここまで書いてきたような、ギャグの意味や趣旨について周知徹底させています。ですから、こうした、深見の考えや感性に付いて行けない人は、そもそも会員になっていません。なっても、すぐに辞めています。当初より、それでいいと考えてます。

ワールドメイトは、神社と同じ神道です。ですから、「来る者拒まず、去る者追わず」で、何らノルマや強制がありません。フィーリングが合う人や、ギャグやユーモアが好きな方が、会員として長年活動し、いつもお祭り騒ぎで盛り上がっています。しかし、その中に深見の圧倒的な学識と、博覧強記な知識による、深い思想や教えがあるのです。また、どこの禅僧や密教僧よりも、優れた霊覚や霊能があるので、会員は、いつも有形無形の御利益を実感しています。このあたりが、深見が会員に信頼されてる所だと思います。

以上

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