救霊のご案内

救霊師体験記

原因不明の病気回復や対人関係の改善など、奇跡を呼び起こすように人を幸運に導く救霊師。
しかし、その反面、救霊師であるがゆえに、人に言えぬ様々な葛藤に苛まれながら、奮闘努力しているのです。

奥伝救霊師 Y.F(談)「感動に出会えるという幸せ ―登校拒否生徒の救霊から」

もう4年ほど前になるでしょうか。『おこぼれいかが天国いっぱい九州エリア本部』で救霊をさせて頂いたときに体験した、印象深い出来事がありました。

救霊を受けに来られた方のなかで、熊本県から来られた高校1年生の登校拒否の男の子がいました。

彼を救霊させて頂こうと、お祈りを終えて部屋に入り、対面となりました。病的に青白い顔の中に、どんよりと濁った目が浮いている。何を話しかけても、貝のように黙りこんだまま。困った…。救霊前に、お客様と心が通じあっていないと、救霊にスムーズに入りにくいし、ご神霊のお働きにもブレーキを掛けられてしまいますから。あの手この手をつくしたあげく、ようやくぽつりぽつりと水漏れのように言葉が出てきました。

「高校に入学したけど…まわりは大学の受験のことばっかりで…。話も合わない。学校のことを考えるだけで、気が滅入ってくる。何のやる気もしない。登校しなくなってから、2ヵ月になる。何度も担任の先生や校長とも話し合い、カウンセリングも受けたけど、どうにもならなかった。このままじゃ、やめるしかないと思っている。このあいだ、映画を観に行って帰りに立ち寄った本屋で、深見先生の著書が目にとまった。読んでみたら面白かった。だめもとだけど、最後の望みをかけて、そこに紹介されていた救霊を受けてみようかと思って…」

「そう、でもよくこれたわね。大丈夫よ、きっと元気になっていくから」

神仏の強い守護がなければ、なかなか救霊は受けられないもの。救霊のことを紹介した書籍を見て、何かを感じ、そして救霊を受けてみようと決心するまでに、守護神様や守護霊様のどれだけのお働きがあったことでしょうか。そんなことを思いながら、精一杯のお取り次ぎをさせていただきました。終了後、彼の顔をみると、心なしかかげりが消え、血色が戻ってきたようです。どうか立ち直ってくれますように、心の中で祈りながら、別れました。…やがて、忙しさにまぎれて彼のことも記憶から去っていきました。

そして、1年後。再び『おこぼれいかが天国いっぱい九州エリア本部』へ救霊にうかがうことになりました。エリア本部に到着し、救霊を申し込まれた方の名簿を見ると、見覚えのある彼の名前が載っていました。「縁のある人だな~」。「その後元気になってくれたかな」と、1年ぶりの再会に少しドキドキしながら部屋に入ろうとして、戸を開けました。あれ、違う人が座っている。いけない、部屋を間違えた。「ごめんなさい」と言いつつ引き下がろうとしたそのとき、「おひさしぶりです! この前はありがとうございました」という力強い声が響いたのでした。

よく見ると、その見覚えのない男性が、1年前に救霊した彼だったのでした。りんと引き締まって、生気にあふれた顔。柔道部に入り、激しい練習に明け暮れていることを後で知りました。彼が話してくれたところでは、前回救霊を受けたあと、夢からさめたように自分が変わっていくのがわかったといいます。今までなぜそんなことで悩んでいたのか、馬鹿らしく思えてきた。猛然とやる気が出てきて、まもなく登校するようになった。しっかりした口調で明るく語る彼の話をききながら、私はってこれほど変わるのだろうか、と信じられない思いにとらわれていました。…まるで別人。しばし口をあけたまま、彼をしげしげと見つめてしまいました。高校の担任の先生も、不思議がっていたそうです。その先生の経験では、彼のような状態になってしまうと、十中八、九はどんなに手をつくしても、まず休学から中途退学という末路をたどってしまう。何があったんだ、どうしてそんなに嘘のように立ち直れたのか、と何度も聞いてきたそうです。

彼の場合、何度もカウンセリングを受け、何とかしてよくなりたい、今の状態を脱したい…!

という本人の強い意志と発願と努力が、神仏を動かしたのでしょう。だから、これほどまでの素晴らしい奇跡が起こったのです。

この時同行されてきたご両親は、最初は救霊を受けることにあまり賛成ではなかったそうです。しかし、手の施しようのなかった息子さんが奇跡的に立ち直ったのを目の当りにして、「信じられなかったです。本当にありがとうございました」と、何度も何度も頭を下げ、感謝してくださったのです。私は恐縮しながら、本当によかった、神様ありがとうございましたと心でつぶやいていました。彼は、救霊を1度受けて、あれだけ素晴らしい証があったのだから、是非もう1度救霊を受けたいと、2度目の救霊を受けに来たのでした。

変貌という言葉がそのまま具現したような彼を目の前にして、あらためて、救霊の価値とそこに働かれる神仏の偉大さを教えられたような気がしました。

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