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岩波書店『世界』の記事に対し、ワールドメイトが訴えていた件について高裁判決が出ました!

はじめに ~「岩波裁判」の概略~

これは平成8年、藤田庄市氏というライターが雑誌『世界』(岩波書店発行)に書いた記事について、ワールドメイトから訴えを起こしていた事件です。
記事の中で藤田氏は、過去にワールドメイトが、元信者から訴えられたケースがある旨を書いています。同じ記事内で挙げられている、悪質な宗教団体のケースと並べられると、まるで当会が、人に危害を加えたかのように読む人が出てくる可能性がある記事でした。

ところが実際は、ワールドメイトは、創立以来20年の歴史の中で(平成16年1月30日現在)、あたかも霊感商法の如く言われたケースは2件しかありません。しかもその2件というのも、かつて当会内で別派騒動が起きた際、辞めていった元スタッフと昵懇だった方々によるものだったのです。
この別派騒動は、後に平和裏に仲直りして終了しました。そしてその後、訴えていた方々も、相次いで訴えを取り下げました。それ以来、ワールドメイトに対する訴えは1件もありません。もしワールドメイトが「問題」ある教団ならば、追随して訴訟を起こす人々が、100人や200人出てきても不思議ではありませんが、そういう事実はなかったのです。(例えば「法の華三法行」の福永法源氏は、1000人を越える人々から訴えられていますが、当会とは比べるべくもないことが明白です。)
このように、当会が神心を第一に良心的な運営を続けてきたことは、設立以来過去20年の事実が証明しているのです。

そうした目で見たとき、藤田氏の記事は、思惑ある人々によって当会が陥れられた可能性を無視した、一方的な記事に思えました。そのため、公の場でその記事がどう読まれるべきなのかを問うべく、平成14年、訴えに踏み切ったのです。

すなわち、よく事情を知らない人がこの記事を読んで、「ワールドメイトが人に被害を与えている」かのように誤解する事態を避けたい。それが私たちの願いでありました。

「ワールドメイトが加害行為をしたという記事ではない」と、高裁が認定。

そして平成16年1月28日、東京高裁で判決が出されました。
内容は、この記事が「名誉毀損にあたらない」というもの。と言っても、「ワールドメイトが人に害を加えたから、悪く書かれて当然なので、名誉毀損にはならない」という意味の判決ではありません。むしろ逆に、「この記事は、『ワールドメイトが人に害を加えた』などという内容ではないので、名誉毀損に当たらない」という旨の判断だったのです。

記事中には、悪意を持って読まれやすい箇所が6箇所あり、当会はその6箇所について、「名誉毀損に当たるのではないか」と問題提起していました。東京高裁は、その6箇所を検討し、いずれについても、ワールドメイトが他人に害を及ぼしたように読むことはできない旨の判断をしています。
言い換えれば、もし今後誰かがこの記事を悪用して、「藤田氏は、この記事でこのようにワールドメイトが悪い団体だと言っている。」と人を誤解させようとしても、「それは違います。この記事は、ワールドメイトが人に加害行為をしたという内容ではないと、この判決が証明しています。」と明確に言えるようになったのです。

名誉毀損に当たるという判決は得られなかったものの、私たちが願っていた、「ワールドメイトが人に被害を与えている」かのような誤解を避けるという訴訟目的は、この判決で達せられた形となりました。

岩波裁判に学ぶべきもの

こうして、控訴目的が達せられたことから、当会はこの岩波裁判を終結させることに致しました。
むろん、判決全体の中には、東京高裁が誤解している点もいくつかあります。法律関係のアドバイザーや弁護士の中には、完全勝利を目指し「最高裁に上告しては」とアドバイスして下さった方もありました。
しかし当会は、形の上で勝利することが裁判の最重要項目とは思っていません。裁判の大きな意義は、法廷という公の場で、当会の意見を客観的に、かつ公平に裁判長に聞いていただき、それが公の文書として残されていくことだと捉えています。勝ち負けや結果は、裁判官の思想や時代の風潮にも影響されますから、それに一喜一憂したり、勝負に拘泥したりしても意味がありません。裁判所が行なった判断を踏まえ、どのように人々を幸せにしていくのか。どうすれば神様が喜んで下さるか……。当会は常にそう考え、歩みを進めて行くだけです。
その意味で今回、当会のリーダーである深見東州はこう述べて、上告しないことに決めたのです。

「当会が、他者に被害を与えるような教団ではないと言うことを、今後この判決を以て言っていくことが出来ますから、特に上告する必要はないでしょう。
元々私たちは、岩波書店や藤田氏を憎んで訴訟しているわけではありません。言われなき誤解によって会員さんが悲しむような事態が、避けられればそれでいいのです。何が何でも完全勝利を得たいというのは、宗教者の立場ではありません。また、何でも訴訟訴訟で応じていくのが正しいこととも思いません。ある程度納得のいく判決が出たことを、神の思し召しと受け止め、平和裏に終結させるのが一番良いのではないでしょうか。
私たちは、『和を以て尊しと為す』の姿勢を本是としています。しかし、言われなき中傷記事があった場合、『書いた者勝ち』でそのまま放置して置くことは、かえって会員の方々を悲しませることになりかねません。善ばかりではないこの社会で、会員の方々を守る為に、やむを得ず訴訟の形をも取りうるというのが、これまでの方針でした。
しかし今回、高裁でこういう内容の判決が出たということは、これは神様が教えているのだな、と直感したのです。すなわち、今までの方法論から一歩進み、『なるべく訴訟を起こさずに言向け和していく』という、本来望んでいたあり方に移行する時期が来た、ということなのだろうと。
幸い、過去に受けてきた誤解については、ここ数年やむを得ず起こした裁判の中で、反論文や説明文がある程度整ってきています。また、それらは裁判所にも蓄積され、公文書として残っています。ですから今後は、何か中傷する人々がいても、そうした文書を見せて事実説明をしていくことが出来ます。
つまりワールドメイトにおいて、裁判の意義はほぼ終わりに近付いたと言っていいでしょう。今後は、よほど重大な問題でない限り、裁判以外の方法で、相手に真実を知らせ、和解していく道を取っていくことにしましょう。現在、いまだ続いている名誉毀損訴訟もいくつかありますが、ある程度議論を尽くした末に、裁判長から和解が持ち掛けられたものについては、それを天の意思として、どんどん和解していこうと思っています。」

言われなき中傷を乗り越えて

最後に、過去何度も書いてきたことですが、このことを繰り返させていただきたいと存じます。
宗教者にとって、言われなき中傷はいつの時代にもあるものです。お釈迦様やイエス様や役小角でさえ、直弟子からの裏切りを受け、当時は命を狙われるほどに、社会から圧迫を受け、蔑まれたのです。また、近世日本最大の宗教家と言われる出口王仁三郎も、不公正な裁判に苦しめられ、「淫祠邪教」とさえ呼ばれた歴史があります。それを思うとき、我々宗教者は、その時代の評論や批判に一喜一憂せず、神仏の御心をただただ推し進め、一人でも多くの衆生を救済し、黙々と社会に有益な公益活動や福祉活動を実行するしかない、と改めて思う次第です。
批判や評論というのは実にたやすいものです。しかし、批判や評論をする人々が、実際に人命を救っているのでしょうか。人々の幸せを願う連続祈願をしているのでしょうか。病に苦しむ人々には病院を建て、無料で施薬し、親を亡くした子供たちには孤児院を作り、第三世界で苦しむ子供たちには、学校を建てる。そうした「黙々と継続する愛の実践行」の足跡を残しているでしょうか…?
私たちはただ、評論ではなく行動し、自らの愛の深浅を省みて、日々励んでいくばかりです。そして、これまでの姿勢に満足することなく、さらに高い山を目指して精進していく所存です。それが、神様の本当に喜ばれることと確信するからであります。

平成16年1月30日
ワールドメイト

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