よくある質問

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プシコ裁判は和解いたしました

名誉毀損記事を書いたO氏らと、東京高裁で和解いたしました。

雑誌「PSIKO」に名誉毀損記事を書いたO氏らと、東京高裁にて和解致しました。

★この和解条項に伴い、先に東京地裁で出された判決(「邪教と呼んでもよい」ように取れる、宗教弾圧的判決)は、失効となりました。

【概略】

冬樹社の雑誌「PSIKO」上で、O氏が、ワールドメイトなどについて名誉毀損記事を書いた事件についての最新のご報告です。
平成15年10月8日、東京高裁において、ワールドメイト側とO氏らとの間で、和解が成立し、事件は終了いたしました。
これに伴い、明らかな偏りがあった一審判決は失効となりました。
また、O氏が従来、中傷記事を書いた側であるにも関わらず、あたかも「被害者」であるかのように振る舞っているという問題については、当サイト掲載の「事情説明書」内で触れてありましたが、和解に伴い、その部分も削除いたしましたことをご報告いたします。
(和解条項内には、特に削除合意等はありませんでしたが、宗教的見地から、O氏の心情を尊重し、自主的に削除を行なったものです。)
なお、和解に至った詳細につきましては、以下の通りです。

高裁への控訴に至った経緯

本年2月の一審判決では、当会らを「邪教」などと中傷したO氏の記事が、「名誉を毀損する」ものだと明確に認定されました。
(O氏や訴訟代理人の紀藤弁護士らは、この記事は名誉毀損にあたらないと主張していました。しかし東京地裁はこれを否定し、ワールドメイト側の主張通り、これを名誉毀損にあたると判断したものです。)
ところが、名誉毀損が明らかであるのに、東京地裁はここで「論評の域を逸脱したものと評価することは出来ない」などとし、「不法行為」と認定しなかったのです。

しかし常識的に考えて、何の犯罪もおこなっていない宗教を、よく知りもせず「邪教」呼ばわりして良いはずがありません。その後インターネット上では、この偏った判決を根拠にして、「ワールドメイトを邪教と呼んでもよい」等の書き込みをする人々まで出てきました。これらのことから当会は、この判決の誤りを正す必要を痛切に感じ、東京高等裁判所に控訴したのです。

一審判決を踏襲することなく…

高裁においては、裁判官が「一審の判決が妥当」と見なせば、大抵の場合すぐに結審となり、ほぼ一審通りの判決が出されます。
しかし今回は、そうはなりませんでした。東京高裁は、証拠や一審判決をすべて読んだ上で、控訴人と被控訴人の双方に、和解を勧めたのでした。もし裁判所が、一審通りの判決を出すつもりならば、和解の勧告などする必要はなかったでしょう。

あとは、裁判所の勧めに従って和解の道を選ぶか、徹底的に戦って判決を得るか、2つに1つでありました。

和解の道を選択。「邪教」判決は失効に

そこで当会は、裁判所の和解勧告に従い、O氏らとの和解の道を選択することにしたものです。
そもそも本件の発端は、雑誌「PSIKO」に、O氏がワールドメイトの中傷記事を掲載したことでした。O氏が大変な誤解をしておられたようなので、人を介して誤解を解くべく努めましたが、全く聞く耳を持っていただけず、今後も根拠なき中傷が繰り返される可能性を鑑み、やむなく提訴に至ったものでした。こうした事情からの訴訟であり、元々当会としては、好きこのんで訴訟を行なっている訳ではありません。
また現在、O氏は「被害救済ネット」というグループに所属しています。これは、当会の中傷記事を書いて訴えられたジャーナリスト等が、「(訴えられたから)自分たちは被害者」という旨の、奇妙な主張を行なっているグループです。
しかし、和解して訴訟を終了させることで、O氏は、「被害救済ネット」が「被害」と称している範疇から外れることが出来ます。中傷記事が発端とは言え、既に80歳を越えておられるO氏を、これ以上騒動に巻き込んだままでいることは忍びなく、当会としては、できるかぎり早期に解決したいと願っていたものでありました。さらに、裁判所が提案しO氏側も了承した本件の和解条項は、誤りを含んだ一審判決を失効させる内容であり、控訴目的の一部も達せられることから、当会は本件を終了させることにしたのです。

「O氏は和解の場で、終始ニコニコとしており、好々爺という感じでした」…という、顧問弁護士の談話が印象的でありました。

会員の皆様を、言われなき中傷から守るために

当会は、「和を以て尊しと為す」の姿勢を本是としております。が、言われなき中傷記事があった場合、「言った者勝ち」「書いた者勝ち」の風潮をそのままにして置くことは、かえって会員の皆様にご迷惑をかけることになりかねません。善ばかりではないこの現代社会に於いては、会員の皆様を守る為のやむなき手段として、訴訟の形をも取りうることを、ご理解いただきたく願うものです。
また、本件で報道加害者側の弁護についた紀藤正樹弁護士も「負ける裁判がある」と述べていますが、まさに裁判でどのような結果が出るかは、裁判官個人の感覚や思想による点が大きく、その時代の風潮にも影響されるものです。
お釈迦様やイエス様でさえ、当時は命を狙われるほどに、社会から虐げられ圧迫を受けました。また、近世日本最大の宗教家と言われる出口王仁三郎も、不公正な裁判に苦しめられ「淫祠邪教」とさえ呼ばれた歴史を思うとき、我々宗教者は、その時代の評論や批判に一喜一憂せず、神仏の御心をただただ推し進め、一人でも多くの衆生を救済し、黙々と社会に有益な公益活動や福祉活動を実行するしかない、と改めて思う次第です。
いつの時代であれ、批判や評論はたやすいものです。しかし、批判や評論をする人々が、実際に人命を救っているのだろうか。人の幸せを願う連続祈願をしているのだろうか。病に苦しむ人々には病院を建て、無料で施薬し、親を亡くした子供たちには孤児院を作り、第三世界で苦しむ子供たちには学校を建てる。そうした「黙々と継続する愛の実践行」の足跡を残しているだろうか…?
私たちはただ、評論ではなく行動し、自らの愛の深浅を省みて、日々励んでいくばかりです。それが神様の本当に喜ばれることと確信するからであります。

平成15年10月8日
ワールドメイト

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